18 もし、前に打ちこわした方法――ユダヤ教のおきてを守ることで救われようとする方法――をもう一度打ち建てようとするなら、むしろ、それこそ罪なのです。
19 というのは、おきてに従おうと努力しても――それは失敗以外にないのです――神様の恵みは決して受けられないことが、聖書を読んでわかったからです。 キリスト様を信じてはじめて、神様に受け入れられることが、はっきりわかったのです。
20 私はキリスト様と共に十字架につけられました。 もはや、私自身が生きているのではありません。 キリスト様が、私のうちに生きておられるのです。 私のためにご自身をささげてくださった神の子を信じた結果、今、私の体のうちには、ほんとうのいのちが与えられています。
21 私は、キリスト様の死ににはしません。 もし私たちが、ユダヤ教のおきてを守ることによって救われるなら、キリスト様が死ぬ必要など、なかったはずですから。