7 このことから、心から神様に信頼する人はだれでも、アブラハムの真の子孫となることがわかります。
8 聖書は、信仰を持った外国人が救われる、この時のことを、予告してきたのです。 神様がずっと昔、アブラハムに、「どこの国の人であろうと、あなたのようにわたしを信頼する人を、祝福しよう」と宣言された時、このことを意味しておられたのです。
9 そういうわけで、キリスト様に信頼する人はみな、アブラハムと同じ祝福をいただくのです。
10 ユダヤ教のおきてに頼って救われようとする者は、神様にのろわれます。 なぜなら、聖書には、「神の律法の書にあるおきてを一つでも破る者は、のろわれる」とはっきり書いてあるからです。
11 したがって、ユダヤ教のおきてを守ろうと努力したからといって、だれ一人、神様の恵みを受けることはできないわけです。 なぜなら、神様の前で正しい者と認められる道は、信仰による以外にない、と神様が言っておられるからです。 預言者ハバククが「正しい人は信仰によって生きる」と語ったとおりです。
12 この信仰による道は、おきてによる道とは、なんと違うことでしょう。 おきてによる道は、おきてを一つ残らず完全に守ることによって救われる、と教えているのですから。
13 ところが、本来なら、私たちが自分の悪い行ないゆえに受けなければならないのろいを、キリスト様は、自分の身に引き受けてくださったのです。 そして、滅びる以外にない状態から、私たちを救い出してくださいました。 なぜなら、聖書に、〔イエスが木の十字架にかけられたように〕「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」と書いてあるからです。