ローマ人への手紙 3:2-8 JLB

2 もちろんです。 ユダヤ人であることには、多くの利点があります。まず第一に、神様はユダヤ人に自分のおきてをおゆだねになりました。 〔それは、彼らに神様の御心を知らせ、それを実行させるためでした。〕 

3 確かに、ユダヤ人の中には不忠実な者がいました。しかし、一部の不忠実な者が神様との約束を破ったからといって、神様も約束を破るでしょうか。 

4 絶対にそんなことはありません。たとい世界中の人がうそつきでも、神様は違います。 このことについて、旧約聖書の詩篇には「神様のことばに誤りはない。 だれが疑いを差しはさもうと、いつも真実で正しい」と書いてあります。

5 ところが、こんなふうに主張する人がいます。 「でも、私たちの神様に対する不忠実は、むしろよかったのではありませんか。 私たちの罪は、かえって目的にかなうのではないでしょうか。 なぜなら、人々は、私たちがどんなに悪い人間であるかを見て、神様がどんなに正しい方であるかに、気づくでしょうから。 すると、私たちの罪が神様の役に立っているのに、罰せられるのは、不公平ではありませんか。」 〔ある人々はこんな理屈をこねるのです。〕 

6 とんでもない! 罪を見過ごすような神様があるでしょうか。 そんなことで、神様はどうして人をさばけるでしょう。 

7 たとえば、もし、私がうそをついたとします。 それと対照的に神の真実がはっきりと際立ち、私の不真実が、かえって神様の栄光を輝かすとしたら、神様は私を罪人としてさばき、有罪の判決を下すことなどできなくなってしまいます。 

8 このような論理を突きつめてゆくと、最後には、「私たちが悪ければ悪いほど、神様には好都合だ」ということになってしまいます。 しかし、こんなことを言う人がきびしく罰せられるのは当然です。 ところが、事もあろうに、私がそのように説教していると言いはる人々がいるのです。