1 愛する皆さん。 どんなことが起ころうと、主にあって喜びなさい。 こう何度も言いますが、それを私は、別にわずらわしくは思いませんし、あなたがたも聞かされたほうがいいのです。
2 救われるためには割礼(男子の生殖器の包皮を切り取る儀式)を受ける必要があると教える、あの悪い連中を警戒してください。 危険な犬ですから。
3 肉体の一部を切り取りさえすれば、神様の子供になれるのではありません。 霊をもって神様を礼拝する者こそ、神様の子供なのです。 その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。 クリスチャンの誇れることと言ったら、キリスト・イエスが成し遂げてくださったわざだけです。 自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。
4 しかし、万一、自分を救える見込みがある人間をあげるとしたら、それは私だ、と言ってもいいでしょう。 もし、人間的に見て救われる人がいるとしたら、私には、確かにその可能性があります。
5 生粋のユダヤ人として、由緒あるベニヤミンの家系に生まれた私は、八日目に、ユダヤ人のしるしとしての儀式である、割礼を受けました。 つまり、だれにも引けを取らない、正真正銘のユダヤ人です。 その上、ユダヤ教のおきてや習慣のすべてを守る点にかけては、最もきびしいパリサイ派に属していました。
6 熱心さの点ではどうだったかと言うと、もちろん、熱心なあまり、教会を激しく迫害したほどです。 そして、ユダヤ教のささいな規則や規定にも徹底的に従おうと、懸命に努力しました。
7 しかし、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、今ではことごとく捨ててしまいました。 それは、ただキリスト様だけに信頼し、キリスト様だけに望みをかけるためです。
8 そうです。 主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もなくすばらしい特権と比べれば、ほかのものはみな、色あせて見えるのです。 私は、キリスト様以外のものは、がらくた同然にみなし、全部捨ててしまいました。 それは、キリスト様を自分のものとするためであり、
9 また、もはや、良い人間になろうとか、おきてに従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリスト様を信じることによって救われ、キリスト様と結ばれるためです。 神様が、私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰――ただキリスト様だけに頼ること――を持っているかどうかで、決まるからです。
10 私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。 つまり、真にキリスト様を知ること、キリスト様を復活させた超自然的な力を、身をもって体験すること、そして、キリスト様と共に苦しみ、また死ぬとは、どういうことかを知ることです。
11 死人の中から復活した者特有の、生き生きとした新しいいのちに生きる者となるためには、どんな犠牲もいといません。
12 なにも、自分が完全な人間だ、などと主張するつもりはありません。 学ぶべきことも、まだたくさん残っています。 ただ、キリスト様が何のために救ってくださったかを知り、私に与えられている目標に到達する日を目指して、努力しているのです。
13 愛する皆さん。 私は、まだその目標に達してはいません。 ただこの一事に、全力を注いでいます。 すなわち、過去に執着せず、前にあるものを望み見、
14 ゴールに到着してほうびを得るために、一生懸命努力しているのです。 このほうびを与えようと、神様は、私たちを天へと召しておられます。 それは、キリスト・イエスが成し遂げてくださったことに基づくのです。
15 私は、一人前のクリスチャンである、あなたがたがみな、この点について、私と同じ考え方をするようにと願います。 もし何かの点でこの考え方からはずれているなら、神様はきっと指摘してくださるでしょう。――
16 もちろん、あなたがたが、与えられた真理に完全に従っているならば、の話です。
17 愛する皆さん。 どうか私の生き方を見ならってください。 また、私を手本として生きている人たちに目をとめてください。
18 というのは、今までも、しばしば注意してきたことですし、今また、涙ながらに訴えたいのですが、クリスチャンとして歩みながら、実はキリスト様の十字架に敵対している者が大ぜいいるからです。
19 彼らの行き着く先は永遠の滅びです。 自分の欲望を神とし、ほんとうは恥じるべきことを誇っているからです。 頭は、この地上の生活のことでいっぱいになっています。
20 しかし、私たちのふるさとは天にあります。 そこには救い主である主イエス・キリストがおられます。 私たちは、キリスト様がそこから帰って来られるのを、ひたすら待ち望んでいるのです。
21 その時、キリスト様は、あらゆる所の、あらゆるものを従わせる超自然的な力で、私たちの死ぬべき体を、ご自身と同じ栄光の体に変えてくださるのです。