1 たとい私に、異言(今まで知らなかったことば)で話す才能があり、また、天と地のあらゆることばを話すことができても、人を愛していなければ、ただの騒音にすぎません。
2 同様に、預言をする才能があり、将来の出来事を予知し、あらゆることに通じていても、人を愛さないなら、何の役に立つでしょう。 また、山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないなら、私には何の値打もないのです。
3 そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また、良い知らせを宣べ伝えるために火あぶりの刑に甘んじても、愛がなければ、何の値打もありません。
4 愛はきわめて忍耐強く、親切です。 愛は決してねたみません。 また、決して自慢せず、高慢になりません。
5 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。 愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。 また、いらいらせず、腹を立てません。 人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても、気にしません。
6 決して不正を喜ばず、真理が勝つ時は、いつも喜びます。
7 だれかを愛する人は、どんな犠牲をはらっても、誠実であろうとするでしょう。 また、いつもその人を信じ、その人に最善を期待し、いのちがけで、その人を守り抜くでしょう。
8 神様からいただいた特別の賜物や力は、いつかは尽きるものです。 しかし、愛は永遠に続きます。 預言すること、人の知らないことばで語ること、特別な知識などの賜物は、やがて消え去ります。
9 たとい、特別な才能が与えられていても、いま私たちの知っていることは、ほんの一部にすぎません。 また、最高の才能に恵まれた人の説教でも、貧弱なものです。
10 しかし、私たちが完全無欠な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。
11 それは、こんなことから説明できるでしょう。 子供の時の私は、子供のように話し、子供のように考え、子供のように判断していました。 しかし、大人になると、考え方も成長して、子供時代とは違い、今では子供っぽいこととは縁を切りました。
12 同様に、今の私たちの神様に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。 しかし、やがていつかは、面と向かって、神様の完全な姿を見るのです。 いま私が知っていることはみな、おぼろげで、ぼんやりしています。 しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同様、すべてが、はっきりわかるでしょう。
13 いつまでも残るものが三つあります。 信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれたものは愛です。