コリント人への第一の手紙 14:21-27 JLB

21 旧約聖書に次のように書いてあります。 神様は、外国語で自分の民に語るために、外国人を遣わされるが、それでもなお、民は耳を傾けない、と。 

22 「異言」は、信者のためではなく、信じない人々のさばきのしるしとして語られるのです。 けれども、預言〔神の深い真理を説くこと〕は、クリスチャンにとって必要なもので、クリスチャンでない者は、まだ、それを聞く準備ができていません。

23 それにしても、まだ救われていない人や、この才能を持っていない人が教会に来て、皆が聞いたこともない国のことばで語っている現場に出くわしたら、きっと気違いだと思うでしょう。 

24 しかし、もしあなたがたが、神様のことばを語って預言しているなら〔たといその説教が、主として信者向けのものであっても〕、まだ救われていない者やクリスチャンになったばかりの者〔すなわち、そのようなことがわからない者〕も、みんなの説教によって、自分が罪人であると、はっきり自覚するでしょう。 そして、耳にする一つ一つのことばによって、良心を刺されるでしょう。 

25 そのうちに、心の中の隠れた思いがあばかれ、ついには、「神様は、ほんとうにあなたがたと共におられます」と叫んでひれ伏し、神様を礼拝するでしょう。

26 さて、皆さん、私の言わんとすることをまとめてみましょう。 あなたがたが集まる時には、ある人は賛美し、ある人は教え、ある人は神様から教えられた特別の知識を語ります。 ある人は異言を話し、またある人は、その異言の内容を人々に説明します。 ただし、これらはすべて、全体の益となり、一同が主にあって成長できるよう役立つものでなければなりません。 

27 異言で話すのは、せいぜい二人か、多くても三人どまりにしなさい。 しかも、一度に一人が話し、その内容を解き明かせる人がそばにいなければなりません。