マルコによる福音書 12:37-43-44 JLB

37 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子でありうるでしょうか。」こういう議論に群衆は大喜びです。好奇のまなざしで、わくわくしながらイエスの話に聞き入っていました。

38  イエスは、ほかにも次のような話をなさいました。「ユダヤ教の教師たちを警戒しなさい。 彼らは見るからに学者らしいぜいたくなガウンをはおったり、広場を歩いている時に、大ぜいの人からあいさつされたりするのが、何よりうれしいのです。 

39 また会堂で特別席に座ったり、宴会で上座に着いたりするのも大好きです。 

40 裏では、恥知らずにも、未亡人の家を食いものにしながら、人前では長ったらしい祈りをして、これ見よがしに神を敬うふりをしています。 こういう人たちは、人一倍きびしい罰を受けるのです。」

41  それから、神殿の献金箱のそばに座り、人々がお金を投げ入れる様子をじっと見ておられました。 大ぜいの金持ちが、気前よく大金をささげているところへ、 

42 みすぼらしいなりの未亡人がやって来て、そっと十円玉を二つ投げ入れました。

43-44 それをごらんになったイエスは、弟子たちを呼び寄せられ、こう言われました。 「あの貧しい未亡人は、どの金持ちよりも、はるかに多く投げ入れたのですよ。 金持ちたちはあり余る中からほんの少しばかりささげたのに、この女は、乏しい中から持っている全部をささげたのですから。」この世の終わり