1-2 それで「よーし、愉快にやろう。 思うぞんぶん楽しむことだ」と、ひそかに思いました。 ところが、こうした生き方も実にくだらないことがわかりました。 寝ても覚めても笑っていたら、頭がおかしくなったと思われます。 それが何の得になるのでしょう。
3 いろいろやってみてから、私は知恵を探求し続ける一方で、酒を飲んでみようと思いました。次に、もう一度考えを変えて、ばかになりきることにしました。 普通にいう幸福も味わってみよう、と思ったからです。
4-6 今度は、大規模な事業に乗り出して、仕事からくる充実感を得ようとしました。 邸宅を建て、ぶどう園、庭園、公園、それに果樹園までつくり、良い作物を実らせるために貯水池までつくってみたのです。
7-8 次に、男女の奴隷を買いました。 私の家で生まれた奴隷たちもいます。 ほかに家畜の群れも飼ってみましたが、その数は以前のどの王よりも多かったのです。 さらに、多くの州や国から、税金として金銀をかき集めました。文化活動としては、混声コーラス・グループやオーケストラを組織しました。その上、大ぜいの美しいそばめがいたのです。
9 こうして、歴代のエルサレムの王もやらなかったような、あらゆることをやってみました。 両眼をしっかり見開いて、これらのものの価値を見極めようとしたのです。
10 欲しいものは何でも手に入れ、したい放題の楽しみをしてみました。 つらい仕事にも大きな喜びがあることさえ知りました。 この喜びこそ、実に、あらゆる労働に共通した報酬なのです。
11 しかし、してきたことを振り返ってみると、どれもこれも役に立たないことばかりで、風をつかむようなものです。 これこそ価値があると言えるものなど、どこにもありません。
12 そこで、知恵と無知の価値を比較してみることにしました。 きっとだれでも、同じ結論に達すると思います。
13-14 それは、こういうことです。 光が暗やみより良いように、知恵は無知よりはるかに価値があります。 りこうな人は物事を正しく判断しますが、頭の悪い人は、先のことがわかりません。 ところが私は、りこうな人にも頭の悪い人にも共通点があることに気づきました。
15 頭の悪い人が死ぬように、この私も死ぬのです。 だから、知恵をつけたって、いったいどうなるというのでしょう。 こうして、知恵をつけることでさえ空しいものだと悟りました。
16 りこうな人も頭の悪い人も死ぬのです。 時がたてば、両者とも、すっかり忘れられてしまいます。
17 ここまでくると、生きているのがいやになりました。 人生は不条理きわまりないからです。 何もかもばかげていて、風をつかむようなものです。
18 一生懸命に築き上げたものが他人のものになると思うと、うんざりしてきました。
19 そればかりか、跡取り息子が馬鹿かりこうか、だれにわかるでしょう。 それでも、私の財産は何もかも、息子のものになるのです。 気分がめいることではありませんか。
20-23 こうして、満足感を与えてくれると考えていた労苦にも愛想をつかし、見切りをつけました。 たとい、生涯かけて知恵や知識や技術を追求しても、せっかく手に入れたものを全部、何もしないでぬくぬくとしていた者に、譲るはめになるのです。 彼が、私の汗の結晶をさらっていくのです。 不公平を通り越して、ばかばかしいことです。 どれほど必死に働いても、何の役にも立ちません。 あるものと言えば、悲しみと悩みに押しつぶされそうな、心の休まらない日々と、眠れない夜です。 全くばかばかしい話ではありませんか。
24-26 そこで私は、食べたり飲んだりすることと、仕事を楽しむこと以外に生きがいはない、と判断しました。 しかも、このような楽しみさえ神様の御手から来るとわかったのです。 というのも、神様のお世話にならなければ、だれも食べたり楽しんだりはできないからです。 神様は、おこころにかなった者に知恵、知識、喜びをお与えになります。 ところが、罪人が金持ちになると、その財産を取り上げ、おこころにかなった者に分けてやるのです。 ここにも、風をつかむようなばかばかしさの一例があります。